リチャード・ヘイマン (Richard Hayman 1920年3月27日-2014年2月5日)

18歳のとき、ボラ・ミネヴィッチのハーモニカ・ラスカルズに入団。やがてハリウッドに出入りするうちに映画音楽のオーケストレーションを任されるようになりました。1950年-1960年ころにはボストン・ポップス・オーケストラのチーフ・アレンジャーとして招かれ、アーサー・フィードラー指揮の下、数々の名編曲を生み出しました。

彼のハーモニカをフィーチャーした曲では、「Ruby Gentry」の映画音楽からシングル盤「Ruby」があり、ヒットパレードのトップに躍り出ました。彼の音色には独特なものがあり、にわかにはハーモニカの音色だとは気付かないほどの音作りをしています。口腔内の空間を大きくして反響を大きくし、喉の柔らかいビブラートで滑らかな音を出していると思います。

彼の名前を冠したLPがたくさんリリースされており、一時期中古品を買い集めましたが、彼のハーモニカをフィーチャーしたものと、リチャード・ヘイマン&ヒズ・オーケストラ名義で彼が指揮でハーモニカが入っていないものがあり、それに気が付くまでは後者のものも良く届きました。国内で販売されていたLPの中に、リチャード・ヘイマン・ハーモニカ合奏団のものがあり、これはクロマチック・ハーモニカ主体の大合奏編成になっており、「真珠の首飾り」は大学ハモソ時代の演奏の模範として良く聴いていました。