チェンバー・ハン
Cham-Ber Huang(1925.10.17-2014.1.10)
チェンバー・ハンは上海で生まれ育ち、幼少の頃のハーモニカの学校で音楽教育を受けました。10歳ごろから音楽理論、和声学、合奏法を独習で学びましただ。中学時代にはハーモニカ・バンドで猛練習し、演奏技術を高め、地域のYMCAでクラシック分野のハーモニカを教えました。16歳で自分のバンドを作り、指揮や4部から7部までの色々なハーモニカを使った編曲法を学びました。18歳で初のラジオ放送するまでになり、2年後には多くは生徒ですが125名のメンバーを数えるまでになりました。自身はその中でソリストとしての技量を磨きました。
1950年にニューヨークに移り、各地のナイトクラブやバラエティーショーに出演し生活の糧としていました。楽譜の出版にも携わりました。残りの時間にはいろんな型のハーモニカを作り出すことに精を出し、いくつか特許も取得しました。コードモニカIIはスライドが2つ付いており色んな和音を奏でることが出来ます。また、音量が大きいハーモニカというものもあり、リサイタル・ホールでマイクなしで十分な音量が出せるというものでした。
1973年、ホーナー社に所属していた間に、新型のクロマチック・ハーモニカCBH2012とCBH2016が発明されました。スライド・ボタンがボディの下側に付いているモデルで、スライドやボディは特殊な樹脂やテフロンでできていて、スライドの動きはとても滑らかです。また、銀製のも作られましたがとても重いもので、CBH2012で1275gもあります。樹脂版のものは色んな奏者に愛用されていましたが、特許の更新でホーナー社と揉め事になり、1983年以降にはCBHモデルは製作されていません。
ホーナー社を退社後、Huang社という会社をニューヨーク州ファーミングデールで設立してHuangブランドのハーモニカを製造販売していましたが、現在は存続していません。
彼のLPを私は3枚所持しています。2枚はクラシック系ですが1枚はジャズ・ブルースの教則本に付属していたものです。1995年の横浜の世界大会で彼が演奏と共にワークショップを開いてくれました。その時に彼の16穴の銀製クロマチックを持たせてくれたのですがその重さに驚きました。これだけ重いと横滑りで音を探るのは無理で、回転(ローリング)で音を探っていると教えてくれました。
晩年はアルツハイマー病を患い長らく療養していたとのことですが、2014年1月に他界されました。
この動画では、ラリー・アドラーとの二重奏が楽しめます。